2016/06/28

会長報告:今年次第45回 通算第1278例会

例会時挨拶

昨年7/7の第1回例会から45回目の今日が最後の例会となりました。先週、この1年間を振り返り、メンバー全員の名前を出させていただきながら感想を述べました。こんな私を温かく見守っていただき、本当にありがとうございました。今日は全部私のおごりです!と言いたいくらい感謝の気持ちでいっぱいです。萩原幹事、事務局の名倉さん、
理事役員の皆さん、そしてメンバーの方々のおかげです。最終例会なので、気持ち良く、時を過ごしましょう!
Thank you for your understanding and your co-operation!
Thank you for all johnan menbers!


懇親会時挨拶

地区研修.協議会の件では実行委員会のメンバーに大変お世話になりました。以前から言っていたように、地区研修.協議会で剰余金が出た場合は、繰り越す金額以外は使い切って皆んなで反省しながら楽しみましょうということでしたが、一部はロータリーの本会計の人件費などの経費補填あるいは親睦関係経費の軽減となり、次年度に繰り越すことになりました。いろいろありましたが、近藤憲康実行委員長の思いを次年度の役員会で諮ることになろうかと思います。いずれにしましても、今回このように楽しく催されることについては誰もが異存はないと思います。中根親睦委員長ありがとうございます。今日は私の友人の菅沼直君がトリオで演奏してくれます。引き受けてくれてありがとう!
時間の許す限りしっかり楽しみましょう!

2016/06/21

会長報告:今年次第44回 通算第1277例会

  会長として1年間が経過した今、あらためてメンバーの皆さんにお礼を申し上げます。
牧野正高前会長から引き継ぎ、昨年7月から始まったロータリー年度でしたが、事業などを皆さんとともに振り返りながら思いを述べます。「来てみて良かった例会」を目指したつもりでしたが、第三者の厳しい目で見たらどうだったでしょうか?
まず、昨年7/7の第1回例会時は加藤卓司君が新会員として入会していただきました。7月中は各委員長の今年度の方針を報告してもらいました。
8/4の納涼例会は従来ニューグランドホテルの屋上でしたが、今回は伝馬の「一曜」にて浴衣、着物、アロハシャツなど普段とは違った服装で行ないました。風もなく、雨の心配もなく、料理屋なので安心して食べて飲むことができました。中根裕幸親睦委員長はじめ親睦委員の皆さんありがとうございました。
9/6(日)は恒例の早朝草刈、1年に1回しか使わない錆びたカマと長靴を持って行きました。山本信一社会奉仕委員長、鈴木美能治さん、ありがとうございました。

10/17、18の土日は大阪日航ホテルでの一泊例会。少人数でしたが、ミナミの街を楽しんで来ました。昨年は東京赤坂で美しい女子との会話を楽しみましたね、山本剛司さん。今回の大阪での原田愛輝君、あの時はしっかりしていましたね。都築孝さん。JCの頃を思い出しましたね。あの時は楽しかったですね。あべのハルカス、世界遺産で真っ白になった姫路城を観て来ました。昼食後に小出浩義さんとの話のなかで四十万谷さんのことが話題になりました。あの方は私の亡くなった実父を昔から知っていて、飲んだ時にはその実父の話をしてくれた方でしたので、思わず涙腺が緩くなりました。辻村繁仁君、いろいろ手配をありがとうございました。
東日本大震災青少年ロータリーの希望の風奨学金支援、鬼怒川水害義損金の募金箱設置をしました。
11月末に東日本大震災の被災高校生支援事業の奨学生に対するメッセージを送りました。まだなお復旧、復興道半ばの東日本大震災の支援には個人としても、ふるさと納税を通じて応援していきたいと思っています。また、例会時の小島邦男先生の喋りは昔と変わらず楽しく聞いていました。
12/1には年次総会で次年度の役員スタッフが決まりました。天野次年度会長のもと、板倉正直幹事を始めスタッフの皆さん、より良いロータリーづくりのために頑張ってください。翌日は大門地区で交通安全運動の一環として、しめ縄広報活動をRCCとして行いました。山本信一さん、鈴木美能治さん、参加していただいたメンバーの皆さんお疲れ様でした。羽根小学校での恒例の理科実験教室、堤英明君にはあちこち動いてもらいました。
12/22は年末家族例会をホテルではなく萬珍軒で行いました。藤江顕治さんの乾杯で始まった楽しい例会でした。サンタ役の原田愛輝君、吉倉広二君、山本泰生君お疲れ様でした。青山幸市君のリードで楽しい時間を過ごすことができました。
1/5の新春例会には、年頭挨拶をして、ビュッフェ形式で楽しみました。酒大好き人間の松野敏さん、たくさん飲まれましたね。小林通利さんや近藤保則君、日本酒飲みすぎないようにしてくださいね。一昨年は太田三伸君の職場、昨年は犬塚浩君の石材組合会館でしたが、今回は職場例会の場所をホテルにて開催し、大久保東海の市川聰明さんに話してもらいました。松永茂夫さんにはご苦労をおかけしました。
2月は恒例のミャンマー訪問に小野進一さん、鈴木昭弘君、辻村繁仁君、永谷和之君ら5名のメンバーが大事な用事を済ませていただきました。モー君には毎度お世話になっております。ありがとうございます。三島小学校、附属中学校への環境教育賞授与、岩崎孝三さん、選考ありがとうございました。3回目のサイエンス賞の授与。中部経済新聞にも取り上げていただきました。田中暉登さん、いつも便宜を図っていただきありがとうございます。
2/5は4RCで矢作橋出会いの像の近くに19本の桜の苗木を植えました。岡崎市制定100周年記念の一環でしたが、市会議員としての加藤義幸君にはこれからも市政に全うしてください。
2/13にトヨタフォレスタヒルズで行われたIMでは、WCS活動のミャンマー教育支援をビデオで、、岡崎市小学校理科実験教室をパネルで取り上げ、モー君と鈴木昭弘君が西三河中分区のロータリアンに対しアピールしてくれました。
また2/16の例会で、ハグ協会の高木さと子さんをお呼びしたのですが、私より前に無理やり自分でハグしにいった足立修君、感触はどうでしたか?
3/8は創設から27年目の創立記念例会で従来初代会長の有馬惟夫さん、初代幹事の近藤敬道さん、近藤勤さんらベテランの話を伺うところでしたが、オブザーバーを前にして、今回は若いメンバーの加藤卓司君、鈴木昭弘君、犬塚浩君、磯部亮次君に経験話をしてもらいました。親睦委員会の高橋晶夫さん、稲吉稔彦君、小久保博公君、山本泰生君、加藤光男さん、加藤卓司君、セッティングお疲れ様でした。
ライラセミナーも毎年永井量基さんのお世話になって学生を派遣することができ、本人らは大変良い経験になったのではないかと思います。参加された岡田吉生さん、堤英明君、稲吉稔彦君、小木曾宏光君、お疲れ様でした。 この頃になるといよいよ来月に迫ってきた地区研修協議会の件で実行委員会のメンバーには緊張感が漂ってきました。
そして4月を迎え、3日には地区研修協議会指導者会議がウエスティンナゴヤキャッスルで行われ、本番の地区研修協議会が3週間後の24日に1530名の登録で開催されました。50余名のメンバーに参加して無事終えることができました。近藤実行委員長、実行副委員長の岡田吉生さん、天野邦彦さん、実行幹事の柴田君、記録の佐野克彦君、登録の板倉正直君、会場運営の永谷和之君、渉外の永井量基さんを始め実行委員会のメンバーと短期間ではありましたが、重要な仕事をしてふいただいた小池さんには大変ご苦労をおかけしました。まだ一部仕事が残っていますが、ありがとうございました。
5/17は横井岡崎税務署長に査察の話をしていただきました。月末には会津若松城南RCに行き、東日本大震災義援金の目録をお渡ししてきました。いつまで続くのか知りませんが、、、
そして、6/4、5の土日は北海道余市RCの55周年記念式典に参加してきました。小出交流委員長のお世話で28名でお邪魔してまいりました。有馬惟夫さん、太田政信さん、中山ひろ巳さん、二宮敬宇先生、田中暉登さんら70歳を超えた方々も参加されました。機内で注意されたという天野賢一さんや岡田吉生さんらが楽しいおしゃべりしている間にアッという間に新千歳空港に到着しました。何故夫婦で会津も余市も行ったんだという方があるかも知れませんが、実は私の健康状態を心配して来てもらったのです。決して私の監視をするために来たのではありませんので、ご了解をお願いします。6/14は内田岡崎市長に未来の岡崎について語ってもらいました。6/12(日)のRACの年次大会には休会中の近藤友一郎君に久しぶりに会いましたね。次年度どうするのかな?加藤豊生さんはヨットで航海に出てみえたのかどうかわからないですが、どこにいらっしゃったのでしょうか?
雨で初回中止となりましたが、3回のゴルフ同好会主催の会長杯には、残念ながら個人として参加できませんでした。一昨日は高校の同窓会総会で監査報告をしなければならなかったためです。それにしても有馬惟夫さん、近藤敬道さんのスコアは年齢の割には大したものです。同好会会長の柴田仙功君、幹事の星野雄一君、小木曾宏光君らには毎度セッティングしていただきありがとうございました。
また年間を通じて楽しいプログラムを考えていただいた永田裕さん、ありがとうございました。
45回の会長報告をウェブサイトにアップしてくれた吉倉広二君ありがとうございました。写真のプロ?の鈴木豊さん、厳しい目で同好会のレベルアップに貢献していただきました。
ニューグランドホテルでの例会のたびに何かと気を遣っていただい た小林政則さん、ありがとうございました。
事務局の名倉綾子さんには地区研修協議会という特別な事務もしていただき、日常の事務以外で大変だったと思いますが、よくやっていただきました。小池さんには臨時でしたが、地区研修.協議会の事務方として資料をまとめていただきました。ありがとうございました。
毎回例会のコンダクターとして、タクトを振っていただいた永野彦麿先生、桐渕利次先生、ときどきの中根常彦先生、ありがとうございました。一部のメンバーは指揮とは関係なく歌っていましたが、最初と最後はなぜかピッタリ合いました。
地区においては、桐渕利次先生、岡田吉生さんには多くの会合に出席していただきありがとうございました。
宮島好弘先生には以前から親身になって私のことを気遣っていただき、ありがとうございました。
残念なことは今年度5名の退会者があったことです。前の年度から休会中だった蜂須賀喜久好さん、商売を廃業した近藤正俊さん、父親の介護に専念したい井上武彦君、奥さんを亡くされ、母親との時間を大事にしたい松井孝王さん、お疲れの都築孝さん、いずれの方々も城南ロータリーが嫌だったり、喧嘩して退会したのではなく、仕事やご家族の都合のためであり、やむを得ない事情であったと認識しております。でも磯部亮次君と吉倉広二君のご結婚というおめでたいことがありました。末永くお幸せになってくださいね。
これまでこうして、私のような者でもやって来られたのは、メンバー全員のおかげでありますが、とりわけ萩原幹事のおかげがとても大きいのです。ラグビーのワールドカップでイギリス、トヨタスタジアムでのスコットランド戦に出かけたため、2回ほどRC関連の会合に出られませんでしたが、よくやってくれました。
今初めて言いますが、まず年度始めの会長方針は私とのヒアリングのあと、作文してくれましたし、外部ゲストへの卓話依頼書を書いてくれたり、クラブを退会された方々に、私の名前で手紙を書いてくれました。案件があれば必ず私に目を通すようにとFAXして送ってくれ、他にもショートメールでもやり取りしていました。実は大変気が効く人で、細やかな心遣いができる、素晴らしい幹事でした。ロータリーのことも真剣に隠れて勉強して、これからの城南ロータリーのことを真摯に考えています。筋が通らないことは許さない、頑な人でもあります。やはり京大出身です。素数のような人です。本当は毎回例会が終われば飲みに行こうと思っていたのですが、私の体の調子がイマイチでお酒の量も減らしたので、それが出来ず申し訳なかったなと思っています。不出来な会長を支えていただいて本当に感謝しております。ありがとうございました。
役員、理事の方々には毎度の理事会での積極的な発言ありがとうございました。いろいろな行事に参加して盛り上げていただいたメンバーの皆さん、ありがとうございました。まだ九鬼義弘君には会計報告の仕事が残っているので後をよろしくお願いします。
すべてのメンバーに感謝です。
おかげさまで貴重な経験をさせていただきました。1月の年頭挨拶でも述べましたが、あまり若くはないのだから、なるべく仕事量を減らして、奥さんや孫との時間をとるようにしていきたいと思っています。カラダのことでは志貴一仁先生には気を遣っていただきました。
いま4つの団体の会長を務めていますが、これで1つ減りました。4月からは某大学と某大学院の講義もお断りして、いまは2つの大学の講義をしています。馬齢を重ねてきますとカラダも疲れてくるし、ストレスを減らしていかないとまいってしまうので、だんだん楽にしようと思っています。若いメンバーはガンガン向かって行って欲しいですが、お年寄りの方々はそれなりに、ほどほどに事を構えて息を抜いて行きましょう!
メンバー全員の名前をこのスピーチの中で紹介させていただきました。1年間、本当にありがとうございました!

2016/06/14

会長報告:今年次第43回 通算第1276例会

今日は内田市長をお呼びして、岡崎のこれからを語っていただきます。よろしくお願いします。内田市長とは同い年で、私の奥さんとは幼稚園から高校まで同じで、高校3年のクラスも同じでした。また、一昨日のRAC年次大会の市長からの祝電の中で私と同じRACのOBだったということがわかりました。忘れていました。

今日は10日前に行った会津若松のことについて少し述べてみたいと思います。
会津は二代将軍徳川秀忠の子家光の弟で唯一側室の子保科正之が会津藩主となって以来、徳川家に忠誠を尽くすことを十五の家訓として制定し、切っても切れない関係を築いて来ました。しかし戊辰戦争の結果は皆さんご存知の通りです。
誠実で、まじめで、忠誠心厚く、まさに、主君に対する忠誠心を何よりも重視した当時の武士道の具現者であった会津藩主松平容保(かたもり)は藩祖保科正之の遺訓や孝明天皇と徳川幕府に対する思いこみに囚われずに、冷静に、数字を基に、状況の変化を掴み、分析して、会津藩の取るべき戦略と行動方針を考え抜くべきでした。
結果から見ると、不幸なことに、広い視野での情報が少なく、若かったこともあって、自分とは視点が違う幹部の意見や、反対意見を検討して、意思決定するという姿勢を欠いた専制主君(専制支配者)でした。国家老の西郷頼母は松平容保の京都守護職就任に反対し進言したが、却下。このため藩の財政は相当逼迫して、偽金までも造ってしまった。また戊辰戦争では和議を主張したものの通らず。松平容保の重大な欠点は情報軽視、さらには、情報無視といった独裁性が強かったということです。孝明天皇と公家たちの攘夷命令が、いかに現実離れした、荒唐無稽なものであるかを少しでも理解すべきでした。
松平容保は、自藩についても、味方についても、敵についてもゆこ朝廷についても、幕府についても、国内情勢についても、国際情勢についても、あまりにも知らなすぎたといわれています。
松平容保と会津藩にとって何よりも不幸であったことは、薩摩藩の島津斎彬(なりあきら)や、長州藩の吉田松陰のような、優れたレーダー的情報収集力と広い視野を持った、今でいうインテリジェンスを持った指導者がいなかったことです。
その中でも数少ない人財を、蟄居(免職・外出禁止)させたり、北海道へ左遷させたり、切腹させたりし、デタラメ極まる人事管理が行われていたようです。

松平容保は、西郷頼母(たのも)、秋月剃次郎、神保修理、山本覚馬、山川大蔵らを活用して、薩摩人脈、勝海舟人脈、松平春嶽(しゅんがく)人脈等から可能なかぎりの情報を引き出すべきであった。例えば1865年、会津と江戸の会津藩の幹部が、松平容保に「藩主引退と京都から引揚げ」を進言するが、松平容保は断固これを拒絶しています。
しかし、結果から見るならば、この時、松平容保はこの幹部たちの進言を受け入れて、「健康を損ねた」などの理由をつけて藩主を引退し、無責任な徳川慶喜・松平春嶽のように、さっさと京都から引き揚げて会津に遁走すべきでした。松平容保が、転進、撤退、降伏についての意思決定を誤ったことが多くの悲劇を生んだのではないかと思います。
行政のトップに立つ人には、YESマンだけでなく、忌憚のない意見を言えるブレーンを持ち、虚心坦懐に物事を捉えることができなければなりません。
松平容保は今話題の舛添知事のようなワンマンで、人の話が聞けない、聞こえない、しかも風が読めない人だったのかなと思いました。

ところで、 国家でも、政党・企業でも、個人でも、ある程度の時間が経過して、結果が明らかになってみると、「あの時、なんで、あんなバカな事をしたのだろう」と思うことがあります。
昔の愚行を、教訓として生かすことは必要ですが、しかし、いつまでも悔やんだり、悩んでもどうなるものでもなし、過去を思い煩わない、未来を心配しすぎない、今を無邪気に生きること!が大事だと思います。
脳の神経回路の自在さをつくり、しなやかな発想と幸福感を創り出し、
流れをつかみ、あるべき結果を祝福して受け入れる。これらのことは、年度始めに会長方針の中で述べたことです。もっとも誰も覚えていませんが。
会津に行ってふと思い出したことを述べてみました。
最後に「あいづっ子」宣言を。会津若松の駅のホームに掲げられています。1.人をいたわります2.ありがとう、ごめんなさいを言います3.がまんをします4.卑怯なふるまいはしません5.会津を誇り年上を敬います6.夢に向かってがんばります やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです!
来る7/23(土曜日)午後2時より「岡崎の将来を考えるシンポジウム」を商工会議所にて開催しますので、是非時間のある方は出席して下さい。
内田市長には、もっともっとリーダーシップを発揮し、岡崎の発展のために頑張っていただけることを期待しております。

2016/06/07

会長報告:今年次第42回 通算第1275例会

先週、5/31火曜日には夫婦で会津若松城南RCの例会に出席し、坂角総本舗のゆかりと東日本大震災の義援金目録をお渡しして参りました。大変喜んでいただきました。
前日は東山温泉の小原庄助ゆかりの宿、はなれ松島閣の露天風呂に夫婦一緒に入り、美味しい食事をいただき、ゆったりとした時間を過ごしました。 夜には、地元の語り部が会津の昔話を語り、対岸には能舞台に映像が現れ、目の前は山の斜面に緑の木々が映え、その下には川が流れ、せせらぎの音が聞こえ、フィトンチッドとマイナスイオンの大変良い雰囲気の中で過ごすことができました。
これも会津若松城南RCに行く機会があったからこそできることでありがたいことだと思いました。
先週の土曜、日曜日には北海道余市に28名のメンバーと余市RCの55周年をお祝いして参りました。姉妹クラブの会津若松城南RCからは27名だったので、岡崎城南RCの28名はひときわ目立ちました。
私はこれまた夫婦で前日セントレアホテルに泊まり、空港内の待ち合わせ場所に行き、あまり好きではない飛行機に乗りました。どうも事故のイメージがありすぎて、嫌な感じがして、最初は余市まで電車で行こうかなと思ったくらいです。
新千歳空港に着いてからは奥さんと別行動となり、チャーターバスにて余市RCのメンバーとともに行動を共にしました。サッポロビールではなく、アサヒビール園のジンギスカンと工場見学、会場の水明閣、名付け親は竹鶴政孝さんだそうです。初めての余市でしたが、やはり岡崎と同じ田舎でした。ホテルらしいホテルはなく、それでも余市RCのメンバーは精一杯のもてなしをしてくれました。
私は一応来賓扱いで前の席で、青山周平代議士と同期という1961年生まれの55歳の中村宏之?代議士、まだ41歳の隣町の町長、商工会議所会頭、武部ガバナーエレクトらと同じテーブルでした。服部良男さんとも知り合いだそうです。
ホールの空気が良くないので途中外に出ていたら身体が冷えてきて震えがきたので、早めに奥さんがいる小樽に戻ることにしました。青山君には、デブのくせに寒がるなんてと言われましたが、、
空港で別れてから、中でゆっくり食事や買物をして、小樽ではひとり人力車に乗り、久しぶりの小樽を楽しんでいたようです。
3クラブ交流会の挨拶を済ませた私は余市RCのメンバーが、見送ってくれる中、小樽へタクシーで帰りました。6,000円でした。翌日、辻村君があまりお勧めではない駅前の三角市場のいくつかある食堂のひとつ滝波食堂に入り、朝からアワビのお刺身、シャケの切り身の塩焼き、8種類の刺身の丼、カニ汁などいただき、満足でした。チェックアウト後、小樽から新千歳空港へ行き、チケットの変更ができなかったので、昼食後も時間があり、館内の映画を見てしまいました。そうして当初の予定どおりの飛行機でセントレアに戻りました。
以上が私の会津と余市の行動でした。

2016/06/04

会長報告:余市RC交流会 挨拶

余市RC交流会挨拶
皆さん、こんばんは!
余市RCの皆さん、55周年誠におめでとうございます!歴史と伝統のクラブの55年という節目の機会に岡崎城南RCのメンバー28名が出席させていただきました。ありがとうございます!
会津若松城南RCを通じて余市RCとのお付き合いをさせていただいてから、岡崎城南RCの周年事業の際も遠路お出かけいただきありがとうございました。3年後は30周年を迎えますので、またよろしくお願いします。
余市はNHKドラマの影響もあって全国的に注目されているせいで、実は困っていることがあります。それは地元岡崎や名古屋の錦3丁目あたりのクラブやスナックで、余市、宮城峡、ブレンドの竹鶴などのニッカウイスキーが品薄のため、ボトルキープができないことであります。もともと竹鶴は大好きでしたが、宮城峡、余市といったブランドも以前は好きで飲んでいましたが、マッさん人気のため飲めなくなってしまいました。これが残念なことです。明日はこれらを買っていくことにします。
今日は新千歳空港からバスをチャーターしていただき、美味しいジンギスカン料理、工場見学をセットしていただき、ありがとうございました。また明日ゴルフ、観光も用意していただいています。本当に余市RCのおもてなしに厚く御礼申し上げます。
これからも3つのクラブ同士の長いお付き合いが続くことを楽しみにしています。
余市RCの今後ますますのご発展と本日ご出席の皆さんだけのご健勝とご多幸を祈念申し上げ、乾杯したいと思います。