城南RC25周年記念誌

城南RC25周年記念誌 page 23/118

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22 History すみません。ちょっと不自由してますんで、ご勘弁願います。10周年の思い出として、良かったことが三つ、そして悪かったことを三つまとめてまいりました。 まず一つ目に、私は10周年を迎えるにあたり、....

22 History すみません。ちょっと不自由してますんで、ご勘弁願います。10周年の思い出として、良かったことが三つ、そして悪かったことを三つまとめてまいりました。 まず一つ目に、私は10周年を迎えるにあたり、エラを張らない自然体でお客様を迎え入れ、「私たち城南ロータリークラブはここまで成長しました。素晴らしい仲間を見てください。」ということで式典に臨んだことを記憶しております。 二つ目に、WCS活動としてミャンマーへの支援活動のきっかけができたことであります。実はWCSは、ご存知のように相手国がロータリークラブを持っていて、そこから日本のロータリークラブにいろんな支援の要請を受ける。それを地区がまとめて、そして私たちの方に「あなたはどこを支援しますか」ということで、それを拾い上げて支援に出向くというのが一つの流れであります。 当時、ミャンマー人のキョーキョーモー君がたまたま身近におられました。彼から教育支援の要請を受けたということで、当時の内藤ガバナーと、地区幹事の岩間さん等、地区のロータリーにいろいろと働きかけをしました。そしてこの地区の委員として、南ロータリークラブの岡田邦弘君がたまたまその委員をやっておったということで、人脈をたどってお願いすることができました。ミャンマーはロータリークラブを持っていないけれども、「協力することについてやぶさかでない。」という了解を取りつけることができました。 当時、このミャンマーへは有志だけで行くということで進めておったわけですけれども、やっぱりそれは限界があります。「クラブとして支援できないだろうか」ということで、会長幹事会の時にガバナーと幹事の方にお願いをして了解を取りつけて、今日に至っているということです。ただ言えることは、「継続は力」ということは私は十分存じておりますけれども、いつまでもオシメがとれないような形、あるいは乳離れができないような状態でいつまでも引きずるということは、私はどうかなということを思います。その地域に根付かせていく。地域の応援が出る。あるいは地区の応援だとか、あるいは分区の協力を得るとか、そういうような活動に広げていかないと、いつまで経っても何かそれは小さな活動で終わってしまうのではないでしょうか。 企業と一緒で、社長が営業から集金まで1人でやっておったら、企業はいつまで経っても大きくなりません。やっぱりそこにはどんどんそれを手放していくような努力もして、協力を得ていくというようなことをする必要性があるんじゃないかなと思っています。 もう一つありますね。ちょうど私が10周年の時に南ロータリークラブが35周年で、葵カントリーで記念ゴルフコンペがございました。うちのクラブからも大勢参加しました。 その時の優勝が私で、35位がの時の私の幹事をやっていただいておったのが加藤陽一君だったんです。その時にその賞品が2品しかなくて、2品がテレビだったんですね。「親が子を思う気持ちはよく分かりました。」私がそう申し上げたことでえらく笑いをいただいたのを記憶しております。非常にその時に感激したということも覚えています。周年記念という節目にですね。 それから、嫌な思い出として三つあります。一つ目は、私がこのロータリークラブに入会する時の、入会紹介者の2人であります。1人は当時の35周年の会長の磯部正明さん、それからWCS地区委員として活躍した岡田邦弘さん、この2人が亡くなったこと。 それから二つ目は、私がJCに入会した時、そしてこの城南ロータリークラブに一緒に入会した親しい友人であり、お互い尊敬していた四十万谷与志明君の他界、そして三つ目が私の女房役として活躍してくれた監事の加藤陽一君の退会であります。 彼はかなり前から、私が会長を受けた時から「絶対幹事をやらせてほしい。」ということを言い続けていたわけであります。彼の人間性は、私が間違った方向に進んでいても信じてついてきてくれた、本当に男気のある奴でした。 こんなことは何の自慢にもなりませんけども、衛生業界っていうものの宿命だったかもしれませんが、私は昔、その筋の者やチンピラ、それから自啓会でお世話になった人たちを、大勢私どもで雇って社会に復帰させて来ました。そういったことを彼は見ていて、その私の男気をかってくれたのではないかなと思っています。また、47年から49年、33時間というストライキ等、会社で労働争議がありまして、これを弟と2人で地区労とやり合って、やり抜いてきました。そういったことで、そんな私なら信じてついて行ってもいいと思ったのではないかというふうに思います。 それだけに、お互いネチネチした奴と陰口、悪口を叩くような奴はお互い絶対許せませんでした。彼の口癖は、「俺は会長を信じる。会長と一緒や。ついて来れん奴は辞めろ。」であった。 最後に私は、加藤陽一君同様、多少理屈っぽく気の短い、わがままな現中根会長の進む道を、最後まで信じてついて行きます。皆さんも、最後まで気持ちのいいお付き合いをお願いいたします。ありがとうございました。岡崎城南ロータリークラブの歴史を知ろう第10代会長近藤 敬道