先週、5/31火曜日には夫婦で会津若松城南RCの例会に出席し、坂角総本舗のゆかりと東日本大震災の義援金目録をお渡しして参りました。大変喜んでいただきました。
前日は東山温泉の小原庄助ゆかりの宿、はなれ松島閣の露天風呂に夫婦一緒に入り、美味しい食事をいただき、ゆったりとした時間を過ごしました。 夜には、地元の語り部が会津の昔話を語り、対岸には能舞台に映像が現れ、目の前は山の斜面に緑の木々が映え、その下には川が流れ、せせらぎの音が聞こえ、フィトンチッドとマイナスイオンの大変良い雰囲気の中で過ごすことができました。
これも会津若松城南RCに行く機会があったからこそできることでありがたいことだと思いました。
先週の土曜、日曜日には北海道余市に28名のメンバーと余市RCの55周年をお祝いして参りました。姉妹クラブの会津若松城南RCからは27名だったので、岡崎城南RCの28名はひときわ目立ちました。
私はこれまた夫婦で前日セントレアホテルに泊まり、空港内の待ち合わせ場所に行き、あまり好きではない飛行機に乗りました。どうも事故のイメージがありすぎて、嫌な感じがして、最初は余市まで電車で行こうかなと思ったくらいです。
新千歳空港に着いてからは奥さんと別行動となり、チャーターバスにて余市RCのメンバーとともに行動を共にしました。サッポロビールではなく、アサヒビール園のジンギスカンと工場見学、会場の水明閣、名付け親は竹鶴政孝さんだそうです。初めての余市でしたが、やはり岡崎と同じ田舎でした。ホテルらしいホテルはなく、それでも余市RCのメンバーは精一杯のもてなしをしてくれました。
私は一応来賓扱いで前の席で、青山周平代議士と同期という1961年生まれの55歳の中村宏之?代議士、まだ41歳の隣町の町長、商工会議所会頭、武部ガバナーエレクトらと同じテーブルでした。服部良男さんとも知り合いだそうです。
ホールの空気が良くないので途中外に出ていたら身体が冷えてきて震えがきたので、早めに奥さんがいる小樽に戻ることにしました。青山君には、デブのくせに寒がるなんてと言われましたが、、
空港で別れてから、中でゆっくり食事や買物をして、小樽ではひとり人力車に乗り、久しぶりの小樽を楽しんでいたようです。
3クラブ交流会の挨拶を済ませた私は余市RCのメンバーが、見送ってくれる中、小樽へタクシーで帰りました。6,000円でした。翌日、辻村君があまりお勧めではない駅前の三角市場のいくつかある食堂のひとつ滝波食堂に入り、朝からアワビのお刺身、シャケの切り身の塩焼き、8種類の刺身の丼、カニ汁などいただき、満足でした。チェックアウト後、小樽から新千歳空港へ行き、チケットの変更ができなかったので、昼食後も時間があり、館内の映画を見てしまいました。そうして当初の予定どおりの飛行機でセントレアに戻りました。
以上が私の会津と余市の行動でした。