会長報告:今年次第20回 通算第1253回例会

先週水曜日のRCC参加者の皆さん、昨日の理科実験教室参加者の皆さん、お疲れ様でした。おかげで広報の役目もしていただきました。ありがとうございました。
近藤友一郎君の件について皆さんにお伝えします。彼はこれまで例会の欠席が多く皆さんにご迷惑をかけておりましたが、先週の理事会にて、定款の規定を適用して今年度残りの期間を休会することになりましたのでご報告致します。
さて今日はRLI方式の研修について、地区研修委員会副委員長の高畑浩一さん(豊橋ゴールデンRC所属)に卓話をお願いしております。私も会長エレクトの研修の際、3日間、このRLI方式の研修を受けました。
いろいろなチャプターに分かれていて、それぞれ担当者が少人数のメンバーに対し質問し、その内容を関連づけながら進めていく形式で、いわば大学や大学院のゼミのスタイルとほぼ同じでした。
質問にはこういうものがありました。1905年ポールハリスが友人らと初めて会合をもった場所はどこですか?その友人とは誰ですか?皆さんの中で答えられる人はいますか?答えは1905年2月23日、シカゴのディアボーン街のユニティービル711号室、鉱山技師のガスタヴァス.ローアの事務所でした。ほか2名は石炭商のシルベスター.シール、洋反物商のハイラム.ショーレイでした。こんなことわからないですよね?1905年ということは多くの方は知っていることですが、、、それよりもポールハリスがどういう思いでロータリークラブを創ろうとしていたのかを知りたいと思いました。彼の出生からの生い立ちを探ることから始まるのではないかと思ったのですが、詳しい話はありませんでした。
ただ、シカゴロータリークラブ設立の際には、会員間の職業上の相互扶助、つまりそれぞれの会員の職業を理解し合い、その企業上の諸問題に会員相互の衆智を集めて助け合うということを目的にした基本構想があったということは理解しました。しかしあまりにも会員といっても人数が極端に少なく、もっと広める必要があり、一業一人という体制を創ったわけですが、当時のシカゴの社会経済的状況、弁護士という職業柄、仕事を優先するという意味ではロータリークラブの会員がクライアントになり得る可能性があったのではと思うのは考え過ぎでしょうか?あの経済的状況の中で無料で会員の便宜を図っていたのでしょうか?顧問先はどうだったのでしょうか?な〜んて思ってしまいます。「四つのテスト」の英語版にはそのことが如実に表れていると思いますが、皆さんはどう思いますか?